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バリバリ通信

宇和島城に学ぶ

掲載日:2013年9月

伊達十万石の歴史と文化
(愛媛県宇和島市)





みなとオアシスきさいや広場
宇和島朝日I.C. からすぐの道の駅。港に面し、広い駐車場を備える。特産の真珠や地元の海産物を扱うコーナーも。

 城の象徴とも言える天守。しかし1873(明治6)年の廃城令以降はそのほとんどが取り壊されたり戦火に遭うなどして、江戸時代以前の建造物が現存するのは全国にわずか12城しかない。国宝である松本・犬山・彦根・姫路の4城と、重要文化財である弘前・丸岡・松江・備中松山・丸亀・松山・宇和島・高知の8城である。その中のひとつ、ここ宇和島城天守を創建したのは築城の名手として名高い藤堂高虎。高虎が宇和郡七万石の大名に転封してきた1595(文禄4)年当時は宇和島を板島と言い、宇和島城も板島丸串城と呼ばれた平安中期の古城跡だった。

 5年にわたる大改修の末、ほぼ現在の城郭が完成したのは1601(慶長6)年。西側が海に面した地形を利用して堀を巡らせた水城である。現在はすべて埋め立てられたものの、堀や海で仕切られた不等辺五角形の縄張は「空角の経始(あきかくのなわ)」と呼ばれ、真上から見ない限り土地は四角形だと誤認する、絶妙な面構成がなされていた。敵に四方から攻められても残りの一辺から脱出あるいは反抗できる、高虎ならではの築城術だったのである。

 高虎が国府(今治)に移封された後、富田信高を経て伊達政宗の長子・秀宗が徳川秀忠から宇和島藩十万石を与えられたのは1614(慶長19)年。大坂冬の陣の功によるもので、翌1615(元和元)年に入城、以来明治維新まで伊達家が九代にわたって宇和島藩主を務めた。二代藩主・宗利が老朽化した天守の改築に着手したのは1666(寛文6)年ごろ。1671(寛文11)年に現在の天守が完成、1860(万延元)年の大修理、そして1960(昭和35)年からの解体修理を経て現在に至る。


人工物と自然との調和
見事に積み上げられた石垣と300種を超えると言われる豊富な緑との調和も宇和島城の魅力。


玄関唐破風の妻飾り
瓦や懸魚には九曜紋、その下に奥まって竹二雀紋、梁には堅三引両紋が連なる。


天守内部の内障子
現存天守の中でも宇和島城のみに残る、珍しい廊下の内障子。

 2か所ある登城口のうち、城山北東部にある藩老桑折(こおり)氏武家長屋門が移築された登城口へは宇和島駅から徒歩約15分。現在は消失しているが、この地には三之丸御殿があった。中腹にある郷土博物館は山里倉庫(武器庫)を移築したもので、入館無料。民俗資料などが展示されている。城山の標高は約80メートルほどしかないものの、急峻かつ不規則な高低差のある石段に思いのほか体力を消耗し、登城には20分ほどを要した。空の青に漆喰の白壁が映える、3階建ての小さな天守。しかし千鳥破風(はふ)や唐破風が連なるさまは荘厳で、決して七層八層などの大天守に引けを取るものではない。瓦や懸魚(げぎょ)には九曜紋があしらわれ、その下には竹二雀紋、さらには堅三引両紋が連なる妻飾り。いずれも伊達家を代表する家紋である。大きな唐破風の玄関をくぐると受付があり、ここで入城料200円を払って中へ入った。特徴的なのは高い敷居と急な階段。敷居が高いのはすべて畳敷きだったことの証であろう。天守内の中心には模型が置かれ、天守の構造が丸わかりになる仕組み。最上階から城下を一望した後、城山南側へ下りてみた。


藩老桑折氏武家長屋門(右)と上り立ち門(下)
武家長屋門が桑折家から移築されたのは昭和27年。これも歴史的建造物だが、上り立ち門は最大級の大きさを誇り、断定されてはいないものの国内最古である可能性が指摘されている。

 こちらは裏口にあたる搦手(からめて)門側の搦手道口と呼ばれる登城口で、武家の正門とされる薬医門形式の上り立ち門が現存する。大きく立派な木の門で、宇和島市の文化財に指定されている。残念ながら搦手門はすでになく、その跡地から少し歩いた先にあるのが伊達博物館。伊達家浜御殿に建てられ、伊達家に伝わる古文書や甲冑などが展示されている。入館料は500円。その目の前にあるのが藤棚で有名な天赦園(てんしゃえん)。伊達家七代藩主の宗紀(むねただ)が隠居宅として造営した庭園で、池泉回遊しながら四季折々の花が楽しめる。入園料は300円。

 城山に沿って走る国道56号を再び宇和島駅方面へ歩いてみる。城山の南東角にあるのが丸之内和霊神社で、伊達秀宗の転封に同行した政宗配下の総奉行・山家清兵衛の邸宅跡。乱れていた藩政を立て直したものの無念の死を遂げた清兵衛を祀る須賀川沿いの和霊神社の別院に当たる。この近くには城の正面入口となる追手門が残されていたが、1945(昭和20)年の米軍空襲で焼失した。角を曲がってしばらく進むと歩道橋のある交差点があり、ここから南予文化会館の前を通って丸山方面へ延びる石畳の広い道が牛鬼すとりーと。毎年7月の和霊大祭・うわじま牛鬼まつりでは、ここを起点に多くの牛鬼たちが市内を練り歩く。特異な姿形をした牛鬼の起源は豊臣秀吉に朝鮮出兵を命じられた加藤清正が牛に似せた亀甲車を作って攻め入った、という文禄の役の史実を藤堂高虎が伝えたことによるそうだ。子どもたちがホラ貝のように吹き鳴らす竹笛(竹ぼら)はブーヤレともかいふきとも呼ばれ、これも清正軍で使われていたものらしい。

 

牛鬼
牛鬼すとりーとからきさいやロード、駅前、和霊公園を経由して、須賀橋まで運行される。明治末期ごろ祭に登場した牛鬼が、現在のように赤い布を巻くようになったのは昭和に入ってから

宇和島闘牛
「出せよ-、出せよ」のかけ声で闘牛場に2頭の牛が姿を現すと、場内の緊張感も最高潮に。次回開催は10月27日(日)。開催日には 宇和島駅前から無料バスが往復する。
 

和霊神社
中四国に点在する和霊神社の総本山で、漁業を中心とした産業の守り神。須賀川に架かる神幸橋のたもとには、御影石造りでは日本一の大鳥居(昭和13年建立)がそびえる。大祭時は和霊公園へと続く参道に露店も出て賑やか。

宇和島鯛めし
道の駅・みなとオアシスきさいや広場にて。卵かけご飯に鯛のヅケを載せたような、伊予水軍発祥と言われる郷土料理。じゃこ天と付け合わせがついて1250円。
 


宇和島土産
宇和島のお土産ならじゃこ天という方も多いが、定番銘菓もどうぞ。唐饅頭は饅頭というより柚味の柔らかい煎餅といった趣があり、古くは江戸まで運んだという逸話も残る。大番は昭和初期に獅子文六の同名小説が宇和島ロケを経て映画化された記念に作られ、小ぶりな揚げパンといった風情がある。いずれも数社が製造しており、食べ比べてみたい。
 ちなみに和霊大祭は山家清兵衛の霊を鎮めるために始まり、今では300年以上の歴史がある。毎年、和霊大祭最終日には市営闘牛場で定期闘牛大会和霊大祭場所が行われるが、こちらも150年以上前の宇和島藩古文書に興行としての闘牛について記載されていることから、起源はもっと古いと考えられる。闘牛は観光用の臨時開催を除けば年に5場所しかないため、3千円という入場料にも関わらず毎回多くのファンが訪れている。大きな牛がぶつかり合うさまは迫力満点。

 宇和島の食と言えば真っ先に思いつくのはじゃこ天だろうか。市内20軒以上の蒲鉾店が協同組合に加盟しており、店ごとに味が異なるため、それぞれ昔ながらの固定客がいるそうだ。宇和島港に面した道の駅、みなとオアシスきさいや広場でも揚げたての熱々が食べられる。店内には土産物のほか、郷土料理のレストランもあり、こちらでは鯛めしやさつまめしが人気。宇和島の鯛めしは刺身を使うのが特長で、卵の入ったつけだれと混ぜ合わせて豪快にごはんにかける。さつまめしは焼き魚と麦味噌をすりあわせ、やはりごはんにかけて食べる。一人で両方食べるのはなかなか難しいと思うので、二人以上で行って分け合うことをお勧めしたい。

 

宇和島までの交通

【JRで】

宇和島駅まで
松山駅から 約80分(特急)
窪川駅から 約2時間(予土線)

【自動車で】

松山I.C.から松山自動車道・大洲
道路・宇和島道路を経由して宇和
島朝日I.C.まで約80分
 

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